2020年(p1)
2月13日23:8分福島県沖地震
3・11を彷彿させるM7.1の地震だ。以前ほど大きな地震と思われなかったが何となく揺れている状況がそれを思い起こさせる感じがした。
火の元を確かめ、すぐにテレビのスイッチを入れる。画面に映し出される日本地図から前回の地震ほどのことはないと思料する。
だが夜中の11時過ぎだ、心配。
だが東日本全域にわたりそれなりに大きな揺れの表示が画面に移りだされている。群馬県は震度4の表示なのだが揺れはそれなりに大きく、そして小刻みに
長くそれは続いた。震度6は福島県及び宮城県と広範囲にわたる。津波の心配は無いとのことだが、停電が散見されるとの情報が入る。
(2021.2.13)
初冬の浅間山
空気さえもが凍てついてしまうほどの凛とした山容に何故心惹かれるのか判然としなかった。
長野原駅より国道146号を北軽井沢に向かうと浅間山が大きく姿を現す。
およそ40年ほど前に照月湖あたりに取引先がありスパイクタイヤを履き、週に一度ぐらいの頻度で私は群馬県の北の地方の事務所へ通っていた。途中の応桑を
過ぎるころになると薄いシルクをまとったような白い浅間山がその雄姿を現す。日本海を越えシベリアから吹き下ろすような北風は容赦なく山肌に
突き刺さる。
厳冬の穂高を仰ぎ見られない寂しさを私は浅間山に投影していたのかもしれない。見晴らしの良い国道の左端に車を止め、ずうとその山を凝視していたのを
今でもはっきりと憶えている。それはまるで私の心そのもの。
(2020.12.3)
新型コロナウイルス対策
新型コロナウイルスは100年に一度の天災と言われ、また政治家は平時ではなく戦時の対応をすると気を引き締めている。 それはまた、国難ともされ国を挙げての対処が求められている。(2020.4.26)
段落構成
このサイトにこうして様々な事を書いているのだが、困っているのは伝達することの内容と伝えたいことの論理をどう表現すべきかということである。
段落構成でいつも悩む。よく言われるように起承転結のある文章が良いとされる。三段論法はなるほどと思うが、四段論法なる話は聞いたことがない。
伝達したい内容からすると「起・承・結」「起・転・結」「起・承転・結」としたほうが論理的文章になると思う。「承」や「転」は修辞か蛇足ではないかと
思うことが有る。
一方で文学的乃至散文的に文章を書くこともある。こうした場合「起承転結」様々な書き方がありえよう。例えば「起・承・承・承・結」、「起・転・転・結」、、。
プログラミングすることを考えると、もっと一般化して言うとアルゴリズムに文学的乃至散文的要素は不必要である。でも起承転結の文章が美しいことは
紛れもない事と思われる。私たちは何故、わざわざ三段で済むことを四段にして文章を書かねばならないのかと常日頃考えている。
そこで私は汚い文章と思いながら、ほとんど「前文」「本文」「結論」の段落構成を選択している。たまには美しい文章も書きたいと思ったときに文学的乃至散文的
表現を取ることにしている。(2019.12.2)
家の周りが騒がしい
騒がしいと言っても、下水道工事のためで仕方がない。数年前より車で主要道路に出ようとすると、片側しか通れなかったりあるいは
全面交通止めで困惑する。こういった工事は秋から冬にかけての一定期間と決まっている。下水道工事が終わり数年たつと、今度は道路の
舗装工事がまた始まる。いつになったら、このあたり道路工事と無縁になるのだろうと思う、そう思うくらいこの工事長いのだ。
最後の舗装工事を私の家の周囲をしている。もう少し我慢すれば家からは主要道路にアクセスできます。
しかしながら、点在する農地へのアクセスではまだまだ悩まされる。対象地域が広いうえに農地が都合悪く、文字どおり点在するのである。
秋の収穫の時期と工事期間がこれまた、運悪く重なる。あと5年も我慢すれば何とかなるかと思う。(2019.12.2)
無理と思うと、未練がわく
久しぶりの山行、次は何処にしようかと思うがもう冬の足音が近づいている。行きたい山を想うと未練が募る。
危険な山行は止めるのが鉄則、来春までお預けとしよう。
山登りに限らず何事も、無理と思うと、未練がましくなるのかもしれない。今できることを出来るだけしておくことが肝要と心掛けたい。(2019.11.19)
世の中ちょと騒がしい
竹林に隠棲し世情に疎く、技術革新や世界的な政治ショウに浮かれ、貧相な思考回路しか持ちえない昨今の自分自身に驚かされ呆れる。 30数年に及ぶ隠遁生活はそれはそれで楽しかったが、顕在化していない社会、経済の変化を最近のマスコミで散見する。自分自身でそれらを 避けて来たのか、変化が目にとまるようになったのかは不明だ。いずれにしても、これからは注視していきたい(2019.10.18)





